こんにちは、和花人ブログのMIHOです。
今日は、少し変わったお話を書いてみようと思います。
でも実は、ずっとしっくりこない言葉がありました。
それが、
という「立場」です。
どれも悪い言葉ではありません。
実際、多くの方がそういう形で人を支えています。
でも、どうしても私は、そのどれにもなりたいと思えなかったのです。
「ほら、みんな行くよ!」が言えなかった
こう言って人を連れていく役割。
それが悪いとは思いません。
でも、私にはどうしても言えませんでした。
MIHOなぜなら、人生って、
誰かに連れていかれて辿り着くものじゃないからです。
自己理解がひと段落ついた瞬間に、見えたもの
実は、私が「自己理解がひと段落ついた」と感じた瞬間があります。
「性格」診断でもなく、
「強み」分析でもなく、
「適職」探しでもなく。
ただ、
「あぁ、私はこうやって迷って、こうやって好きに戻って、こうやって今ここにいるんだ」
苦しかった理由も
迷ってきた理由も
評価に縛られていた理由も
花に戻った理由も
全部が、「ひとつの構造」として腑に落ちた瞬間。
そのとき私は、
そう思って、そのまま図を書き留めました。
それが、いま私が考えている「Academyの原型」になっています。
私が自己理解と向き合っていた頃のことや、8ヶ月間、どんな迷いと違和感の中で自分を掘り続けていたのかについては、別の記事で詳しく書いています。
▼ 本当の自己理解は一番むずかしい

▼ビジネスで自己理解が必要な理由とその終着点

教える場所ではなく、探す場所をつくりたい

私がつくりたい場所は、誰かが答えを教える場所ではありません。
ただ、
「自分の人生を、自分で理解しに来る場所」
です。
私はそこで、
そんな役割でいたいと思っています。
MIHOだから私は、
「先生」でも
「講師」でも
「伴走者」でもなく、
“司書”でありたいと思いました。
なぜ司書なのか?

ただ、
私は、誰かの人生を導きたいわけではありません。
ただ、
・迷っている人が
・自分を責めている人が
・評価に縛られている人が
静かに座って、自分の人生を「回収できる場所」を、そっと用意したいだけなのです。
自己理解が腑に落ちないまま前に進むと崩れる
これは、私自身が何度も経験したことです。
自己理解が曖昧なまま、
一時的にうまくいっても、必ずどこかで足元から崩れました。
なぜなら、
自信がないから迷うのではなく、人生のハンドルをずっと他人に預けたまま走っていた。
それに気づいたとき、私は初めて、「前に進む前に、立ち止まる場所が必要なんだ」と思いました。
私のAcademyは、静かな図書館です

だから、私がつくろうとしているAcademyは、
・集める場所ではなく
・導く場所でもなく
・競わせる場所でもなく
のような場所です。
誰も急かさない。
誰も比べない。
誰も引っ張らない。
ただ、
そして、
必要な人だけが、
静かに一冊を手に取って帰っていく。
MIHO私は、そんな場を、淡々と整えていく人でいたいと思っています。
最後に
もしあなたが今、
そんな場所にいるなら、無理に進まなくていいと思います。
MIHO一度、立ち止まって、
自分の人生を読み直す時間のほうが、
ずっと大切なときもあります。
私はこれから、静かにその棚を整えていきます。
ほら、みんな行くよ、とは言いません。
ただ、
「ここに、灯りはありますよ」
そう伝えながら。




