新しく、画像販売を始めました。
その準備をしているとき、
思いがけないところで、ひとつ迷いました。
「画像に、名前を入れるべきかどうか?」
いわゆる“透かし”を入れるかどうか、という話です。
盗用防止という意味では、
入れたほうが「安全」なのは分かっています。
でも同時に、
どうしても引っかかる感覚がありました。
名前が入った瞬間に変わるもの

MIHO私が作っている画像は、
「使い方」よりも
「そこに滞在する感覚」を大事にしています。
静かに考えたり、
言葉を書く前に眺めたり、
ひとりで思考を整えるための“空間”。
そこに名前が入った瞬間、
ふっと現実に引き戻される感じがしたんです。
そう感じました。
じゃあ、なぜ世の中には「名前そのものが価値」になるものがあるんだろう?
ここで、ふと思いました。
世の中には、
名前が入っているからこそ「価値」になるものもありますよね。
じゃあ、その「差」って、
どうやって生まれたんだろう?
私なりに整理してみた「差が生まれた理由」
考えていく中で、
これは「段階の問題」なんだと腑に落ちました。
① 先に「無名の仕事」を積み続けた(←ここが一番大事)
最初から
「このロゴが価値です」
なんて、誰も思っていなかったはずです。
ロゴがなくても選ばれる仕事を、
黙々と積み続けた。
② 価値が“外側”で合意された
重要なのはここ。
時間をかけて、
・王侯貴族
・旅人
・富裕層
・社会的ステータス
他者の評価が重なっていった。
③ 再現性があった(毎回ブレない)
これがないと、
「名前がついている=責任を負う」
が成立しません。
④ 勝手に増えなかった(希少性)
ここで初めて、
この名前がある=選ばれた側
という感覚が生まれる。
⑤ 「世界観」が一貫していた
だから名前を見るだけで、
・品質
・価格帯
・空気感
・使う人のイメージ
が一瞬で立ち上がる。
文字が、意味の塊になる。
⑥ 最後に、ロゴを“主役”にした
最初からじゃない。
だから、
邪魔じゃなく、誇りになった。
今の私の着地点

ここまで整理して、
今回の判断はとてもシンプルになりました。
これは逃げでも、
自信のなさでもなく、
名前は、
積み上がったあとに、
勝手に重くなるものだと思っています。
最後に
この気づきは、
新しく画像販売を始めたからこそ出てきた疑問で、
今の私なりの答えです。
いずれ、
「この名前が入っているから欲しい」
そう言われる日が来たら、
そのときは、
文字を入れる側に回ろうと思います。
今はまだ、
静かに積む時間。
今日は、
そんな考えを書き残しておきたくなりました。








