――息子を見ていて、静かに気づいたこと
今日、息子はサッカーの試合でした。
帰ってきてから、主人が息子に
「今日は何勝何敗だったの?」と質問。
息子は少し考えてから、
「2敗1分」
それを聞いて、私は何気なくこう聞きました。
「ねえ、あなたのチーム、弱いの?」
そのとき、ちょっとした「違和感」を感じたんです。
なんというか、世界の見方が、私と違う
そんな感覚が残りました。
でも私たちはつい、ここから先を急ぎます。
「結果」と、「自分そのもの」を一気につなげてしまう。
でも息子は、そこへ行かない。
負けたことは受け取る。
でも、そこで止まる。
私の場合、出来事を見るとすぐ「因果関係」をつなげてしまいます。
理由を探し、
原因を特定し、
いつの間にか
自分の価値まで結論づけてしまう。
「負けた」ことに対して、それ以上でも、それ以下でもない。
実はこの感覚、前からありました。
息子は幼稚園の頃から英会話に通っていましたが、小学校になっても、ほとんど話せませんでした。
理解できない塾にも、毎週2時間、何年も通い続けました。
普通なら
「嫌だ」「行きたくない」
となりそうなのに、そうはならなかった。
当時は正直、
「どういう神経してるんだろう?」
と思っていました。
でも今なら、少し分かる気がします。
分からないことはあっても、劣っているとか、恥ずかしいとか、そういう「認識」がそもそもない感じです。
大人の私たちは、感情が生まれたその瞬間に、無意識のうちに「判断」と「評価」まで進めてしまうことがあります。
本当は、
ただ「悔しい」と感じただけなのに。
ただ「好き」だと思っただけなのに。

でも、息子を見ていて気づきました。
悔しい。とは思うけれど、
「自分はダメだ」とはならない。
好き。とは思うけれど、
執着して苦しくならない。
上手くなりたい。とは思うけれど、
誰かと比べて自分を下げない。

私たちはつい、
感情 → 評価 → 自己否定
を一瞬でやってしまうけれど、
本当はその間に、何もしなくていい場所があってもいいのかもしれません。
これは、前向き思考の話ではありません。
それだけで、
人生や仕事で感じる摩擦は、
驚くほど減るのかもしれません。
息子を見ていて、私は静かに思います。
折れない人は、
強い意志を持っているのではなくて、
「自分を雑に扱っていない」だけなのかもしれない。
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