真面目に生きてきた人ほど、息苦しくなる社会で起きていること― 承認欲求と現代社会の構造 ―

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真面目に生きてきた人ほど、息苦しくなる社会で起きていること ― 承認欲求と現代社会の構造 ―

― 承認欲求の構造と、これからの時代を生きるヒント ―

息子が観ていたアニメを、なんとなく横で一緒に観ていました。

正直、最初は
「子ども向けかな」「バトルものかな」
そんな軽い気持ちだったと思います。

でも、気づいたら私は物語そのものよりも、登場人物たちの“心の動き”ばかりを追っていました。

善と悪の話ではなく、才能の話でもない。

ほんの小さな人生の掛け違いで、人はまったく違う方向に進んでしまう。
その構造が、驚くほどリアルに描かれていたんです。

息子が観ていたのは、きっと「強さ」「展開」

でも私は、

「なぜその選択しかできなかったのか?」
「なぜ戻れなくなったのか?」

そんな部分ばかりが気になっていました。

同じ作品を観ているのに、見えているものがまったく違う。
それが、今の社会と重なって見えたのです。

今回の記事の目次

善と悪ではなく、「息苦しさ」が描かれていた

その物語は、いわゆる「善が悪を倒す」という単純な勧善懲悪の話ではありませんでした。

むしろ心に残ったのは、“正しい側”“守る側”とされている人たちのほうが、どこか息苦しそうに生きているように見えたことでした。

ルールを守り、義務を果たし、期待に応えようとして振る舞い続ける。
しかしその中で、少しずつ自分を押し殺しているようにも感じられたのです。

「敵」とされる側も、ただ破壊や反逆を望んでいるわけではありません。
それぞれが抱える事情や価値観、過去の痛みがあり、“敵である理由”が存在しています。

どちらが正しいかではなく、どんな環境で、どんな価値観を信じるようになったのか?そこに焦点が当たっている物語だと感じたのです。

その息苦しさは、どこかで見たことがある

その息苦しさを見ていて、私はふと、今の社会でよく聞く言葉を思い出しました。

「認められたい」
「評価されたい」
「ちゃんとしていると思われたい」

形は違っても、あの物語の中で描かれていた息苦しさと、私たちが日常で感じている窮屈さは、とてもよく似ている気がしたのです。

承認欲求から抜け出せないのは、個人の弱さじゃない

最近よく耳にする

「承認欲求が強い」「他人の評価を気にしすぎ」

という言葉。

でも、私はずっと違和感がありました。

本当に問題なのは、承認欲求そのものではなく、 承認されなければ“存在していない”ように扱われる社会構造なのではないか?と。

今は情報があふれています。

・SNSの数字
・フォロワー数
・再生回数
・成果の可視化

「見える結果」が出ていないものは、なかったことにされやすい。

MIHO

どれだけ地道に積み上げていても、その過程を見てくれる人はほとんどいません。

だから人は、承認を求め続けてしまう。

それは甘えでも、依存でもなく、そうしないと生き残れない社会の仕組みの中にいるからです。

なぜ、こんな社会になったのか?

今の社会は、気づかないうちに「分かりやすさ」と「効率」を最優先する形でつくられてきました。

数字で測れるもの、結果がすぐに見えるもの、管理しやすいもの。

そうした基準が強くなるほど、過程や深さ、迷いながら積み上げる時間は、評価の外に置かれやすくなります。

MIHO

さらに、情報があふれ、常に誰かと比較される環境の中で、私たちは「自分の基準」を持ちにくくなりました。

その結果、外から与えられる評価が、自分の存在価値のように感じられる。

承認欲求が強くなったのではなく、承認されなければ不安になる構造が当たり前になっていったのだと思います。

現代社会で生まれた「二つの生き方」

今の社会を見ていると、大きく分けて「二つのタイプ」の人がいるように感じます。

情報を先に掴み、柔軟に吸収していく人

・新しいツールを使う
・AIや仕組みを取り入れる
・ダメなら切り替える
・フットワークが軽い

自分に厳しく、地道に努力を積み上げる人

・コツコツ続ける
・人に頼らず自力でやる
・責任感が強い
・真面目で実直

どちらも、間違っていません

むしろ、どちらもその時代を生き延びるための正しい「生存戦略」でした。

なぜ人は、どちらかに寄ってしまうのか

本当は、両方をバランスよく持てたら一番いい。

でも現実には、多くの人がどちらかに偏ってしまいます。

理由は、とてもシンプルです。

人間の脳は、複雑なものより、単純なものを好むから。

・私は努力する人
・私は要領よく動く人

どちらかに決めてしまったほうが、脳は安心します。

さらに、育ってきた環境で、褒められたポイントも影響します。

「真面目でえらいね」
「我慢できてすごいね」

「飲み込み早いね」
「要領いいね」

私たちは知らないうちに、片側だけを強化されてきたのです。

社会や組織も、片側に寄った人間のほうが管理しやすい。

結果、「どちらかの人間」になったほうが生きやすかった。

だから偏ったのは、失敗でも弱さでもありません。

最適解だったんです。

でも、時代が変わった

問題は、現代社会ではその戦略が通用しにくくなったこと。

・柔軟に動く人は、浅く見られ、信頼が続かないこともある。
・地道に努力する人は、評価されにくく、消耗しやすい。

どちらか一方だけでは、息切れしやすい時代になりました。

本当に強いのは「統合できる人」

ここで、私が強く感じたことがあります。

・柔軟に動いてきた人が、積み上げてきた人の深さに触れられたら。
・地道に努力してきた人が、柔軟に動く人のフットワークを少し取り入れられたら。

たぶん、無理に強くならなくても、ずっと楽に、生き延びられる。

ここでひとつ、誤解されやすいことがあります。
「統合する」と聞くと、努力も柔軟さも、同時に完璧にこなすことのように感じてしまう人もいるかもしれません。

でも、私が感じている統合は、もっと静かで、地味なものです。

意識して何かを“切り替えている”というより、「今の自分は、どちら寄りかな?」と気づいけているか?だけ。

・今は、踏ん張る時
・今は、少し手放していい時
・今は、人に頼っていい時

人の脳はどうしても、どちらか一方に偏ろうとします。

だから、無理にバランスを取らなくていい。
無理に統合しようとしなくていい。

偏っていることに、あとから気づければ、それで十分だと思います。

その小さな気づきを繰り返しているうちに、結果として「行き来できる状態」になっていく。

「柔軟だけど、芯がある」
「真面目だけど、動ける」

そんなふうに状況に応じて行き来できる人は、折れにくいというより、自分を見失いにくくなります。

心理学で言うと、この状態は自己調整力(レジリエンス)が高い状態です。

私自身は、どちらだったのか

MIHO

正直に言うと、私はずっと「努力型」でした。

朝から晩まで必死に見えない努力を重ね、誰にも気づかれなくても続ける。

それが正しいと信じてきました。

でも今は、AIや仕組みを取り入れ、試しながら修正することもしています。

どちらかを捨てたわけではありません。

足りなかった側を、学び始めただけ

まとめ

もし、これを読んで

「自分は、どちらかに偏っているかもしれない」
「ずっと同じやり方で頑張ってきて、少し苦しい」

そんなふうに感じた人がいたら、それは弱さでも失敗でもありません。

人がどちらかに寄るのは、その時代、その環境を生き延びるための生存戦略でした。

そして、承認欲求もまた、あなた個人の問題ではなく、そうならざるを得ない社会の構造の中で生まれたものです。

どちらかを捨てなくていい。
過去の自分を否定しなくていい。

足りなかった側を、そっと借りてくればいい。

息子の横で観ていた、あのアニメは、私にそんなことを静かに教えてくれました。

この視点が、今を生きる誰かの心をほんの少しでも軽くできたなら、それが何より嬉しいです。

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