自己理解が私に与えた変化|“本当の自分”を信じ直すまでの記録【好きなことを仕事にする前に必要だったこと】

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自己理解が私に与えた変化。本当の自分を信じ直すまでの記録

こんにちは、和花人ブログのMIHOです。

ここ数日、私は「自己理解」というテーマに改めて向き合ってきました。
働き方やビジネス構築など、“どう生きたいか?”よりも“どう形にするか?”を考えて動いてきましたが、どこかで心が追いついていない感覚がありました。

行動しても進まない。
アイデアはあるのに、なぜかしっくりこない。

そんな「心と現実のズレ」の正体を探すように、私は自分自身を見つめ直す時間を持ちました。

今回の記事の目次

なぜ「自己理解」が必要だったのか?

考え込みながらパソコンを見つめる女性、困っている

私が自己理解に戻った理由は、とてもシンプルです。
「頑張っているのにうまくいかない理由が知りたかった」から。

これまで私は、“努力すれば報われる”と信じて生きてきました。
学生時代も社会人になってからも、人より多く働き、人より先に行こうとしてきた。
けれど、どんなに頑張っても結果が出ない時期があったんです。

そんな時、自分を責め続けました。
「私には才能がない」「やっぱり無理なんだ」と。

それでも止まることが怖くて、また次の挑戦へと走り続けていた。

でも、ふと気づいたんです。

私は、自分を知らないまま走っていたのかもしれない。

人の「評価」を軸にして、他人の価値観で生きてきた。
“好きなこと”さえも、“どう評価されるか?”を気にしていた。

その瞬間、私はようやく理解しました。

今の私に必要なのは新しいスキルや情報ではなく、「自分という人間をきちんと理解すること」だと。

「形」にすることばかり考えていた私

実はつい最近まで、私は「ブログ構築をメインにしたコンサルティング」を作ろうとしていました。

MIHO

ブログを副収入化し、花屋さんや寄せ植え屋さんが本当にやりたいことに注力できるようになることを目的に構築を進めていたんです。

記事設計、SEO、デザイン、導線づくり──
自分がこれまで積み重ねてきた知識や経験を、形にして人の役に立てたい!と本気で思って具体的なマニュアルづくりまで進めていました。

でも、不思議なことに、作業が進むほど心が重くなっていったんです。
本来ならワクワクするはずの内容なのに、なぜか手が止まる。
その違和感の正体が分からなくて、しばらく自分を責めていました。

でも、それは「もう少し深い部分に向き合いなさい」というサインでした。

「ブログを副収入化すること」は、私にとって目的ではなく“手段”なんだと。

本当の目的は、もっと奥にありました。

それは、

「好きなことを、好きなだけできる世界をつくること」
そしてその“循環の輪”を私から次へ、そしてまた次へと広げていくこと。

ブログで収益を得るスキルは確かに大切。

MIHO

でも、それは私でなくても教えられることなんです。


求められれば喜んで伝えるけれど、今の私が本当に向き合うべきテーマは、「人生をどう生きたいのか?」、そして「自分の心の軸をどう整えるのか?」という部分でした。

だから私は、外側の「構築」からいったん離れ、内側の「自己理解」へと戻ることを決めました。

自己理解の途中で思い出した“あの言葉”

自己理解を進める中で、私は再び自分の過去を一つずつ見つめていきました。
オンラインショップを辞めて以降、何回も何回も繰り返してきた自己分析。
印象に残っている出来事、悔しかった経験、忘れたくても忘れられない瞬間。

ただ、私の場合──

記憶を思い出そうにも、なかなか残っていなくて、空欄になっている部分も多かったんです。

だから今回は、頭の奥に沈んでいる断片を、ひとつひとつ必死にたぐり寄せながら進めました。

不思議なことに、“すごく苦しい・すごく嬉しい・すごく悲しい”など、強い感情を伴った記憶だけは比較的よく残っている気がします。
ただその一方で、

「これ、本当に現実だったのかな?」
「もしかして夢の中の出来事と混ざっているのかも?」

そんなふうに、現実と夢の境界があいまいな感覚になることもありました。

その中でふと浮かび上がったのが、師匠から言われた一言です。

「大丈夫、あなたならできる」

その言葉を思い出した瞬間、胸の奥が熱くなり、涙が溢れました。
当時の空気や声のトーンまで鮮明によみがえり、心の奥に何か大切なものが触れた感覚がありました。

何回も自己分析をしましたが、こんなに感情を揺さぶられたのは今回が初めて。

でも、その涙には2つの感情が混ざっていました。

ひとつは、信じてもらえたことへの嬉しさ
「私の努力を見てくれていた人がいたんだ」という安心と温かさ。

もうひとつは、自分を信じられない悲しさ

「いや、私には無理だよ」
「私はいつも途中で諦める人間だから」

そうつぶやくもう一人の自分がいました。
信じてくれる人がいるのに、自分自身を信じられない。
その矛盾に気づいた時、胸の奥がギュッと締めつけられました。

この瞬間、私ははっきりと分かりました。

結局、私が信じていなかったのは「私自身」だった。

私の中にあった「自己不信」

私はこれまでずっと、外からの信頼を頼りにして生きていた。

でも、肝心の“自分自身への信頼”が欠けていたんです。

誰かに「できる」と言われても、心の奥では「無理」と返してしまう。
褒められても、心の中で否定する。
そうやって、自分の努力や成果を受け取れないまま生きてきた。

それが、長年の“生きづらさ”の原因でした。

けれど、自己理解を進めていくうちに気づいたんです。
この“信じられない自分”も、実は私を守るために生まれた防衛反応だったということに。

「もう傷つきたくない」
「また失敗したくない」

そう思う気持ちが、私を守ろうとしていただけ。

そう気づいた瞬間、私はようやく“責める”ことをやめられました。

自己理解が与えた変化

自己理解を深めるにつれて、少しずつ心の余白が増えていきました。
焦っていた心が静まり、「今の自分」を受け止められるようになった。

以前の私は、常に「結果」を求めて突っ走っていました。
でも今は、“途中”で立ち止まれるようになった。

「この方向でいいのかな?」「本当にやりたいことは何だろう?」そんな問いを自分に投げかけられるようになったことで、焦りよりも“確かさ”を選べるようになりました。

人と比べて落ち込むことも減り、「私は私のリズムで生きていい」と素直に思えるようになった。

また、自分の“弱さ”を隠さなくなったことも大きな変化です。
感受性が強くて疲れやすいところも、今では“人の心を感じ取るセンサー”だと理解しています。

短所を消そうとするのではなく、扱い方を知ること。
それこそが、自己理解の本質なのだと実感しています。

自己理解が導いた「未来の私」

自己理解の先に見えてきたのは、

「本当の自分を思い出す人を増やしたい」
という願いでした。

かつての私のように、自分を責めて苦しんでいる人が、もう一度「私にもできる!」と信じられるように。

そして、師匠からもらったあの言葉を、今度は私が誰かに渡していきたい。

「大丈夫、あなたならできる」

この言葉の意味を、今の私は理解しています。
“他人を信じる力”は、まず“自分を信じること”から始まるのだと。

自己理解は“終わり”ではなく“始まり”

自己理解は、人生の再出発点です。
過去を否定せず、今の自分を受け入れたとき、人はようやく未来に進む力を取り戻せる。

私にとっての自己理解は、
「頑張るため」でも「変わるため」でもなく、

“自分を信じ直すための時間” でした。

そして今は、心から思います。

「もう大丈夫、私ならできる」と。

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